ある日、世界各地に「ゲート」が現れた。
ゲートといっても扉のような姿をしているわけではない。
言うなれば、空間に空いた穴。
ある種の空間の歪み。
そういった現象だ。
ゲートの向こう側にはまるでアニメやゲームのような、いわゆるファンタジーという言葉でくくられるような空間が生成されていた。
その空間はリアルタイムで成長し、変容し、やがて実体化する。
ゲートが出現した場所の周囲がそのままゲート内の空間に置き換わってしまうのだ。
そうなれば当然、魑魅魍魎とでもいうべき魔物たちが解き放たれてしまう。
後にその異空間は「ダンジョン」と呼称されるようになった。
初めにゲートが現れたのは東京という大都市のど真ん中。
突如現れた謎のゲートは人々の注目を集めたが、ダンジョンの実体化が起きてしまってからそれどころではなくなった。
瞬く間に都市中に魔物があふれ、何人も死んだ。
そしてその後……何者かの手によって実体化したダンジョンは東京ごと消滅させられた。
その事件から数十年と時は進み、ダンジョンに立ち入った者が特別な力に目覚めることがあると明らかになる。
そこからは、ある種の新時代の到来である。
ダンジョンがあるのが当たり前の時代、そしてそれを攻略する者たちの時代。
そんな特別な力に目覚めた攻略者たちを人々はこう呼ぶ。
「ダンジョンクリーナー」と。
そしてまた、今ここに新たなダンジョンクリーナーが生まれようとしていた。
◇◇◇
いつからこうだっただろう?
もしかしたら初めからこういう運命だったのかもしれない。
俺の名前は水瀬 優。
どこにでもいる普通の学生……少し前まではそうだった。
しかし、その身分も失った。
今の俺は何者でもない。
漠然と、どうにかなると思ってきた。
なるようになると、そういう風に考えていた。
現に今までどうにかなって来たし、最終的には大団円のオチが待っていると思っていた。
そしてその結果、無残にも社会から振り落とされた。
職もなければ愛想もない。
社会に居場所がないと、まるで自分が人間でないみたいだった。
今の俺には何も無い。
かといってそんな空虚な人生に自ら別れを告げる度胸もない。
「もう……」
カーテンを閉め切った部屋で一人頭を抱える。
「もう、おしまいだぁ……」
俺の心境を知ってか知らずか、窓の外からは電線の上を跳ねるスズメの鳴き声が聞こえてきた。
「ぬわあああああ……!!」
そうして哀叫しながらアスファルトの上をのたうつミミズのように自室の床を転がっていると、部屋の扉がノックされるのを聞く。
コンコン、と軽快なリズムで二回。
ノックは二回ではマナー違反だ、と結実することのなかった努力の足跡が無意味に頭の中に浮かぶ。
無論自室の扉をたたいてくるのは家族なので、そこにマナーもくそもない。
「優くん、いる~……? 一応ご飯できたんだけどぉ……」
「はい、います。ゴミ人間はここにいます! ウゥッ……」
「……あちゃ~、いまそういう時間かぁ……。じゃあ……まぁ、お姉ちゃん先食べてるね」
結局、ドアが開かれることなく足音は遠ざかっていく。
いまのは姉さんだ。
人間の失敗作みたいな俺と違って基本的に何でもできて、人当たりもよくて俺にだって優しいし、おまけに美人だし……。
とにかく、完璧とは言わずとも真っ当にできた人間だ。
どういう仕事をしているかとかは実は詳しく知らないのだが、姉さんのおかげで姉弟二人暮らしでも何ら不自由することは無かった。
「本当に……」
それに比べて俺はいったいどうしたんだか。
何を間違ったわけでもないのに、こうしてくすぶっている。
いや、もしかしたら間違うのが怖くて何もしてこなかったのかもしれない。
ただずっと、真っ当に生きているつもりで足踏みをしていただけなのかもしれない。
「……よっと」
何はともあれ、一日中のたうっているつもりもないので立ち上がる。
せっかく姉さんが作ってくれた料理なのだから、冷ましてしまってはもったいない。
それにどうせ姉さんのことだ、先に食べているとは言いつつも俺を待っているだろう。
だから服だけ着替えて、急いで部屋を出た。
リビングに向かうと、案の定姉さんは待っていた。
二人用の小さめのテーブルに頬杖をついて、ニュース番組のコーナーの一つである動物たちの映像集みたいなのを眺めている。
そこそこ大きめのテレビ画面には仰向けのまま笹の葉をむさぼる自堕落の究極系みたいなパンダが映っていた。
「この子、かわいいね。優くんみたい」
「ウッ……それは……すみ、ません……」
「あっ、いや違くて! そういう意味じゃないからもー!」
慌てて姉さんが俺の言葉を否定する。
どうやら俺のことを食っちゃ寝するだけの怠惰なパンダと言いたいわけではないようだ。
いや、さすがにそうでないということはもちろん分かっていたが。
「うそうそ、冗談だから。姉さんがそう焦ることでもないって」
「……でも優くん自虐で普通に傷つく人だし……」
「それは……まぁそう……」
姉さんの言葉に苦笑いしながら椅子に座る。
テーブルに並べられているのは簡素ながら手の込んだ朝食だ。
わかめの味噌汁から暖かい湯気が上っている。
姉さんは俺が座ったのを見て満足げに頷いてから、やっと箸を持ち上げた。
「いただきます」
そういう姉さんに合わせて俺も朝食に手を合わせる。
感覚としてはどっちかというと食材にというか姉さんに手を合わせてる気分だ。
それが済むと、姉さんはすぐにテレビのリモコンを手に取る。
お行儀よく食事を始めたからと言って、別に最後までそうというわけでもないのだ。
少なくともウチでは。
姉さんはいつもテレビを見ながらご飯を食べるし、俺もその姉さんに時折目をやりながら食事をしている。
チャンネルが何度も切り替えられ、中途半端に途切れた音声が連続する。
時々何か興味のある言葉に惹かれたのかリモコンを操作する手が止まるけれど、結局また別の番組に変えていた。
今日はなかなか見たい番組が決まらないようだ。
『本日は全国的に……』
『……を記念して……が……』
『旧首都の消滅。あれから……』
様々なニュース番組が告げる日常。
日々をちゃんとした一人の人間として生きている人たちに向けられた言葉。
そのどれもが今や俺には関係がない。
「姉さん……たぶんもうチャンネル一周したよ……」
「ん~……あんまり面白いのやってないなぁ……」
「まぁ、朝だし。こんなもんでしょ」
味噌汁を一口すすって、姉さんに言う。
姉さんはつまらなそうな顔をして、諦めたようにリモコンを置いた。
結局、最初に見ていたニュース番組で固定される。
その番組では動物のコーナーなどもう終わっていて、今は違う話題が中心になっていた。
それは……。
『……史上最年少のB級クリーナーが、ここ日本で誕生しました! なんと14歳でB級に昇格ということで、今多くの注目が彼女に集まっています!』
アナウンサーのはきはきした声。
それが告げるのは、ダンジョンクリーナーについての話だった。
ダンジョンクリーナー。
スキルさえ目覚めれば誰でもなれて、この番組で紹介されている少女のように若くして成功を収める可能性だって秘めている。
死と隣り合わせだけれど。
そんななか、この少女は若々しい才能を携えてB級に昇格したのだ。
スキル覚醒さえすれば、C級まではわりと行けるらしい。
ところがB級はそうはいかない。
B級の壁、なんて言葉が生まれるほどだ。
「へぇ、14歳……無垢ちゃんだって。すごい子もいるんだね~」
「……でも、本来子どもにこんなことさせるべきじゃないだろ。まぁ、俺が言えたことじゃないけど……」
俺の言葉に姉さんが一瞬目を丸くする。
そして少ししたら柔らかく微笑んだ。
「……ふふ、そうだよね。確かに! 優くんは優しいね」
「ウッ……」
「え、ちょっと! ほめてるのに何でそうなるのさ~!」
姉さんのまっすぐすぎる笑顔は、場合によっては悪口以上に効くのだった。
優しい人間ならこんなところで立ち止まってないよ。
しかしあの歳でB級か……。
となると収入は……。
少し考えて、そしてすぐにやめる。
あまりにも自分がみじめに思えてきたからだ。
才能さえあれば億万長者も夢じゃない。
ダンジョン内で手に入る物質は基本的に高値が付くし、高難易度のダンジョンを攻略すればそれだけで大儲けだ。
なんとも夢のある話だが……俺とは住む世界が違過ぎる。
もう目に見えているのだ。
きっと俺はC級どころかスキル覚醒すらしない。
そんな才能、あるわけない。
そうだ。
この現状もなるべくしてなったんだ。
俺ははなから失敗作で、何の才能もなく、空っぽで……。
「あーもう!! すぐそういう顔する!!」
突然、ぐわんぐわん視界が揺れる。
何かと思えば、姉さんが俺の頭をわしわし乱雑に撫でていた。
そうやって髪の毛をぐちゃぐちゃにして、テレビを消す。
「ふぅ……まったく。あの手の話は今の優くんには毒だったかもね」
「…………」
姉さんの言葉に何も言えなくなる。
ひどくみじめで、言葉が出なかった。
「そりゃさ、受けたところことごとくお祈りメールで、おまけにバイトもクビになったら誰だって落ち込むよ!」
「ウッ……」
「今はそれ禁止!」
ぺちんと、姉さんの指先が額をたたく。
「……けどね、優くんは優くんのペースでいいの。焦らないで。急がないで。お姉ちゃんは、ずっと優くんのそばにいるから! だからさ、大丈夫。大丈夫だよ。ね?」
まるで子どもを慰めるような表情で、姉さんは俺の顔を覗き込む。
それに俺は、黙って頷くほかなかった。
姉さんは優しい。
でも、だからこそ今のままではいけないと、強くそう思うのだ。
自分に言い聞かせる。
お前が最後に本気になったのはいつだ?
そう問いかければ、いやでも自分のどうしようもなさが見えてくる。
結局そう、本当に俺は今まで足踏みをしていただけなのだ。
前に進もうとしなかった。
姉さんの優しさに甘えて。
いつだってそう、自分に何も無いかもしれないということを知るのを恐れて、本気になれなかった。
壁にぶつかる前に「ここは自分に向いていない」と背を向けてきた。
だけど、流石にそろそろ姉さんの優しさに応えなければならない。
人として、成し得なければならない最低ラインだ。
それほどに俺は姉さんに守られ、救われてきた。
だから、今できることをしなければならない。
そしてそれは……。
「姉さん、とんでもないこと言っていい?」
住む世界が違う?
どうせそんな才能などない?
本当に……?
確かめもせず何を言っているんだ、俺は!
「なぁに? 優くん?」
姉さんが首をかしげる。
「俺……俺さ……」
言え!
臆するな、退路を塞げ!
いい加減人間になれ!
「俺、ダンジョンクリーナー……試してみる」
宝くじよりはまだ現実的な確率だろう、たぶん。
テレビの14歳に感化されてなんて馬鹿みたいだけど、頭から可能性を否定して賽を振らないのはもっと馬鹿だ。
姉さんは俺の言葉に不安そうな表情を浮かべる。
しかし決して首を横には降らなかった。
「うん、分かった。あんまり危ないことは……だけど、優くんが決めたならお姉ちゃんも手伝う。応援してるからね!」
俺の肩に手を置いて、姉さんは深く頷く。
そして数秒後、体の力をフッと抜いた。
そして笑う。
「へへ、ご飯冷めちゃったね」
「あ、ごめ……」
申し訳ないのと、なんだか小恥ずかしいような気持ちで頭をかく。
もちろんそれで気がまぎれるようなことはなかった。
そしてそんな俺の顔を、姉さんは穏やかな表情でじっと見つめる。
「え、っと……姉さん?」
「ふふ……優くんは優しいね」
「え……え? なんで?」
「なんでも」
なんだか分からないけれど、そうやって姉さんがくすりと笑うのが無性に嬉しかった。
境界と重なっているのもあるかもしれないが倉井さんが俺を阻むシールドは強固、ただでさえ上限と下限の開きが大きいC級……そのなかでも倉井さんはかなりレベルの高い方みたいだ。おそらく、鹿間さん以上……。道理でこんな無茶苦茶な”撮影”を行動に移せる自信があるわけだ。 俺の攻撃の影響か、はたまた倉井さんのシールドの影響か、境界には液晶画面を圧したようなノイズが走る。もう次の瞬間には境界が崩壊していてもおかしくないような状態に見えるが、依然その空間の壁は俺と倉井さん、そして俺と向こう側のボスの体との間に立ちふさがっていた。「いい加減諦めろよ! こういう展開……僕の動画には要らない! 惨めに泣き喚きながら死ね! 僕はそれが見たいんだ!!」 倉井さんが更に力を込めるようにして歯を食いしばる。境界に走るノイズはその力と力の押し合いの影響を受けるようにいっそうノイズを激しくさせた。 そこで一つ……気づく。倉井さんのレベルがどうあれ……もしかしたら、倉井さんのシールドも……境界に負荷をかける一因になっているのではないだろうか?倉井さんが抵抗すればするほど、境界のノイズは広がる。必死の形相の倉井さんは気づいていないみたいだが、もしかしたら……俺を阻んでいるのは倉井さんのシールドではなく、ずっと境界の壁のみなのかもしれない。倉井さんのシールドは……むしろ、境界にかかる負荷を、より大きなものにしている……。 もちろん、それは確証のあることではない。しかし事実、境界に起きていることは……それを裏付けるかのようだった。ならばこのまま……。「くっ……ふっ……」 境界に押し付ける双剣に力を込める。倉井さんが冷静さを取り戻し、境界に何が起こっているかに気づく前に……倉井さんのシールドを利用して、この境界を打ち砕くのだ。 ボス部屋だからなのか、その境界は今までよりもずっと強固で……全力を注いでいるにも関わらずまだ瓦解しない。全ての異物を拒み、ただその均衡を保ち続けようとしている。しかしそれも時間の問題のはずだ。いかに不可思議な現象であろうと、永遠は無い。「あと、少しっ……!」 一歩前に踏み出し、さらに強く刃先を押し付ける。増した抵抗感と反発力が俺の足を後方へ滑らせようとするが、つま先で地面をえぐるようにその押し返す力に耐えた。 二振りの剣は、その先端
復活を遂げたボスはその形態を微妙に変化させている。それはさっきまでの無骨ながらシンプルな騎士然とした姿ではなく、きっちりと魔物の姿をしていた。 鎧に包まれていたように見えたその姿形自体は大きく変わらず、しかし決定的に印象を変えてしまう変化がその身に起こっていたのだ。死の淵から蘇り、俺の前に立ちふさがる魔物……その背には、まるで蜘蛛の脚のような、いくつかの関節を持った爪のようなものが三対生えていた。背中側で肋骨のような曲線を描くそれは、微細な筋肉の動きを反映してか小さく震えていた。「はぁ……」 その変化に、自らが置かれている現状にため息が出る。少し時間を経て出来事を整理した俺の心は……悲しみの色に染まっていた。 しかし魔物は待ってくれない。そんな人の感情の機微など読み取れるはずもなく、読み取れたとしても考慮するはずもなく……あろうことか、爪の先端、第一関節から先の部分をミサイルのように撃ち出してきた。 六つの発射物が、魔物の意思に従って空中に軌跡を描く。そのすべての矛先は、俺に向いていた。 一瞬このままここから逃げ出してしまおうかという考えもよぎるが、そうすれば倉井さんが邪魔をしてくるのは明らか……。そうなった場合、この期に及んで俺はまだ……倉井さんたちに刃を向けることが出来ない……。 俺を追尾してくる爪の弾道を躱しながら、魔物に近づく。しかしその弾丸の旋回性能はかなり高いらしく、地面に衝突してその役目を終えたのが六発中たったの二発だった。 魔物に接近した時には既に残り四発の弾に追いつかれているため、仕方なくボスの足元を潜り抜けるように再び距離をとるしかなかった。幸いボスは弾道の操作にある程度集中を求められるらしく、動きを鈍くしている。 ボスの足元を通ったことで、四発中二発がボスの脚に命中。大したダメージにはならないようだが、少なくとも弾丸の追跡は二発まで減らせた。 こうして逃げ回っているのもじれったくなって、背後に向かって氷の刃を振る。氷結した斬撃が、残る二つも打ち落としてくれた。 空中で氷の破片と結晶の破片が舞う。それを合図代わりに、進路を真反対に変え来た道を逆戻りした。 弾丸の操作から解放されたボスも、近接に切り替えこちらに走ってくる。そうして正面から剣と剣を衝突させた。 再び全身を重い衝撃が駆け巡る。し
「まだ分からないですか? 水瀬さん」 困惑する俺に、倉井さんが半笑いの声で話しかけてくる。俺はその声に、未だ唖然とした表情を浮かべることしかできなかった。「だから……はぁ、なんて言ったらいいですかね? 本当ならもう、自分の置かれてる立場がどんなものか少なからず分かるものだと思いますが……そうですか、この期に及んでまだ信じられないですか……。ああ、いや……別に責めてるわけじゃないですよ? そういう表情、結構味付けとしてはいいですからね」「あじ、つけ……? 倉井さん、あなた何言って……」 俺の絞り出すような声に、倉井さんはため息を吐く。そして肩をすくめて笑って見せてから「仕方ないですね」と語り始めた。「金儲けですよ、金儲け。自分の命を危険にさらして、長い時間と多大な労力を使って、それで大真面目にクリーナーやってくなんて……ばかばかしいですよ。もっと安全に、もっと効率的に、楽して稼ぎたいじゃないですか。そのためなら……こんなおもちゃを自前で作るのも苦じゃなかったですよ」 倉井さんの指が俺を捉え続けているカメラをこつんとつつく。俺はその言葉を聞きつつも……やっぱりまだ飲み込むことができなかった。耳に流れ込んでくる言葉たちの理解を、脳が拒む。何も信じられなくなって、ただ虚ろな眼差しをカメラのレンズに注ぐことしかできなかった。「じゃ、じゃあ……ハナさん、ハナさん……は?」 救いを求めるようにかすれた声を絞り出す。しかしハナさんはもうさっきからずっとグズグズで、答えられるような状態じゃなかった。その様子にすら慣れているのか、倉井さんは誰に頼まれるでもなくハナさんに代わってその答えを俺に伝えた。「ハナさんもずっとそうですよ。こうやって僕と撮影を始めてから、ずっと繰り返してきました。君みたいなお人よしを巻き込んで、そうやって上級のダンジョンまで誘って……その死に様をカメラに収める。まぁ万人に売れる映像じゃないですけど、買う奴は……大枚はたいて買ってくれますよ。水瀬さん……なんか妙に強いんでちょっと焦りましたが……今回はダンジョンの特性に助けられましたね。僕たちが手を貸さない限りこのボスは倒せないでしょうし……あなたが死ぬまで何度でも、ここのボスには頑張ってもらいますよ。人の体力は有限ですからね」「人が……死ぬのを、撮る……のか? なんでそんな……そ
ボスの巨体が、壁面にダイナミックに影を踊らせる。その影は俺の炎によって映し出されていた。「くそ……」 動きが読みやすいとは言ったが、決してその動きは隙が多いわけではない。戦闘経験がまだまだ浅い俺からすれば、攻めるに攻められなくてもどかしかった。だが、欲張ってはいけない。欲張ったら死ぬ。いけそう、ではなく……確実に”いける”タイミングでないと攻撃を差し込んではならない。これがゲームなら一回や二回試みているだろうが、忘れてはならない……ここはダンジョンなのだ。 ランカーのせいで痛い目を見たからだろうか、ダンジョンをゲームと重ねることに強い忌避感がある。あのランカーは目の前で無残にも死んだため、もう憎たらしいとかそういうふうにも感じないが……反面教師としては講師としての役割を意外と果たしていたのかもしれない。 振り下ろされた巨剣に回避が間に合わず、やむを得ず剣で受け止める。重量の差から、普通に考えたらまず受け止められないであろうそれを……一瞬ではあったが受けられた。 重い衝撃は手のひらから腕の骨に伝わり、そのまま背骨を走り抜け腰を軋ませる。踏みしめた両足は結晶の床を少し砕き、つま先を沈ませた。「……ぐ」 すぐにこのつばぜり合いの勝敗は決する。それは見かけ通りの……俺が押し負けるという形で均衡を崩した。 斬るというよりは押しつぶすと言った方適切なその攻撃の下からなんとか転がりだし、すぐに敵の方を見る。ボスは力を込め続けていた刃がその対象を突然失ったために、剣が地面にめり込んですぐには抜けなくなっている。そこに好機と駆け寄ると、ボスは力任せに大検を地面から引き抜いた。 地面がめくりあがり破片が宙を舞う。俺はその振動も降り注ぐ破片もものともせず、さらに駆け寄った。 ボスは振り上げた刃をそのまま俺めがけて振り下ろす。だが、こちらもそう来ることはもう分かっていた。 本能はその場から飛びのいて逃げたがっている。だが今はそれを抑え込んで、恐怖心を突き破って跳躍した。 結果、俺と刃の軌跡が交わらなくなる。紙一重ですれ違い、そして俺の体は……。もうどうあがいても防御が間に合わないボスの胴体の高さまで達していた。 今までの中での最大の好機。俺がミスらなければ……さっきまでの小突きとは比べ物にならない大打撃をあいつに与えられる。
ボスは掲げた大剣を振り下ろす。足場を粉々に打ち砕いてしまいそうなほど強烈な一撃だったが、その縦一閃は何にも命中することはなかった。「何……?」 ハナさんはその奇妙な動作を怪訝そうに見つめる。しかしその瞬間、それは起こった。 さっき一度止まったはずの振動が、再びあたりに響きだす。それもさっきより激しく。そうして……何か不可解な力がフィールドを駆け巡るのを感じた。「これは……!?」 重力、だろうか……?感覚としてはそれと近い圧迫感のようなものが肌に触れる。しかしそうした感覚があるだけで、俺の体が押しつぶされるわけでもなければはるか天井まで浮かび上がらせられるわけでもない。俺の体は依然微動だにせず、ただ何らかの不可視の力が場に流れているのを感じるだけ。 だが、その違和感もそこまで。すぐにいったいどんな力がこの場に働いていたのかを理解する。 このダンジョン特有の次元のギミック。それが正しいダンジョンの特性であれ、あのときの合体のような何らかの異常事態であれ……その現象が存在している事実には変わりない。 景色が、塗り替わっていく。回転……。そう呼ぶにふさわしい変化。そして……この空間が完全に黒に染まる前に、その回転は停止した。 ボスエリアの半分が白で、半分が黒。次元の塗り替わりが90度で止まったのだ。 フィールドの中央に立つボスは、丁度その境界に立っていて、二つの次元に映る像が鏡映しのため……まるで二刀流をしているように見えた。その体も半身が白く、半身が黒い。「ハナさん……!」 今までとは違って、俺たち自身もその二つの次元の様子を同時に認識できているため……急いでハナさんの安否を確認する。ハナさんは俺とは逆側の次元……黒い空間に居た。「クソ……!」 このダンジョンの性質を考えれば、その分断は攻略において好都合だが……それは俺たちにそもそもこのボスが倒せるということが前提となってくる話だ。急いでハナさんの方へと駆け寄ろうとするが、しかし不可視の壁に阻まれる。向こう側が見えるとはいえ、出入り自由というわけではないらしい。「ハナさん! ハナさん……!」 扉でもノックするようにその境界の壁を叩きながら、ハナさんの名前を呼ぶ。ハナさんもそれにすぐに気付いて、こちらへ駆け寄ってくれた。「みーちゃん……あたしなら大丈
ここから一人抜け出すわけにもいかなくて、結局俺も二人の後に続く。まるで俺が立ち入るのを待ちわびていたかのように、ボス部屋の扉は背後で閉まった。「扉……」 一瞬それが再び開けるか否かを確かめようかと考えたが、早く二人に追いつきたくてそれは諦めた。ハナさんは……もしかしたらまだ揺れているのか、未だ何もしゃべらない。カメラは回っているだろうに……その後姿はどこか落ち込んでいる様子ですらあった。そんなんなら……本当に、入らなければよかったのに……。しかしもう過ぎたこと、ボスは……もう俺たちの目の前に佇んでいた。「これが……ここの……」 倉井さんがその巨躯を足元から徐々に登っていくようなカメラワークで動画に収める。このダンジョンと同じように、全身が白い結晶で構成されている。人型の……騎士然とした見た目だが、今はその大剣を地に突き立て片膝を立てて彫像のように微動だにしない。まぁ、それはともかく……。「この感じなら……たぶん、このボスも……二つの時空にまたがって存在してますよね……」「そうっぽいですね」 俺の言葉に倉井さんは頷く。さっき意見のすれ違いがあったばかりなのにまるで何も起きてなかったみたいな態度で接されるのは……本来ならありがたいことなのかもしれないが、今は正直どこかムッとしてしまった。「うごかない……ね」 ハナさんも、立ち止まってボスを見上げる。ボスは……まるで何かを待ち構えているかのようにその影を落としていた。まるでそれがこのボスの”領域”の境界線を引いているような感じがして……ほとんど無意識だけど、なんとなく誰もそこまで近づこうとはしなった。 倉井さんは飽くまでさっきから態度を変えないのを貫いているが、俺とハナさんに関してはそうでもなく……いまいち気まずい時間が流れる。ボス部屋に入ってなお、まだ戦いが始まらなかったのがその気まずさに拍車をかけている感じはあった。「はぁ……」 仕方なく空気を変えようと少し声を張る。「もう。俺も分かりましたから……やるならもうやりましょう。戻るなら戻る。今ならたぶん……それも出来るはずですから……」「みーちゃん……怒ってる……?」「え……? 俺、が……?」 声を張ったばかりに、どうやらそれを怒りの発散と勘違いされてしまったみたいだ。と、思いつつも……自分で今の言葉の内容を振